大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋地方裁判所 昭和46年(わ)280号 判決

主文

被告人を死刑に処する。

理由

(罪となるべき事実)

一被告人の経歴および本件犯行に至るまでの経過

被告人は、群馬県碓氷郡八幡村大字八幡において当時国鉄職員であつた大久保円次郎とその妻キンの三男(第七子)として生れたものであるが、その家系には犯罪者、異常性格者が輩出していて父の性的放縦、母の利己的で冷酷な血を受け発揚性、自己顕示性、無情性を主徴とする極めて亢進した色情衝動を伴う異常性格(精神病質)者であつて、すでに小学校時代から短気で乱暴で同級生とは融和せず、小学校四年生頃からその言動に性的放縦の萌芽が顕われ六年生頃にはしばしば女生徒にいたずらをして問題を起すという性行不良の児童であつた。中学校を卒業後しばらく高崎市八幡町の自宅で父の営む農業の手伝いをしていたが、昭和二七年姉の嫁ぎ先である横浜市所在の電気店へ見習いに行つた後実家を改造して清光電気という屋号で家庭電気製品販売店の経営を始めたが、業績が挙らず、早々にその経営にも意欲を失い、たやすく近所の電気販売店から商品を窃取してきてその損失をうめるなどの非行を累ねて前橋家庭裁判所に送致され不処分の処置を受けたが、はじめて昭和三〇年七月前橋市内において当時十七才の未知の女性を強いて姦淫しようとして果さなかつた強姦未遂事件をひき起し、同年一一月二一日前橋地方裁判所で懲役一年六月(執行猶予三年)の刑に処せられたが、自分が罪におちたのはいつに被害者の不実の証言によるものとなし、爾来同女や司直らに強い反感をいだき再び同年一二月二六日強姦致傷の罪を犯して懲役二年に処せられ、前記執行猶予も取消されて松本少年刑務所に服役し、昭和三四年一二月一五日仮釈放で出所した。出所後一時土工、電気製品等の販売業に従事していたが、その間にも機会をみては街に出かけ大学生などを装つて若い女性を誰れ彼れとなく誘惑し、女漁りにふけつているうち昭和三六年三月頃渋川女子高等学校を卒業して前橋文化服装学院に通学していたKと知り合い、たまたま同女との交際を深めてしまつた関係から同女やその家族らからの結婚の要望を断り切れず、翌年五月挙式して同棲し一男一女を儲け、自宅において自分が主となつて兄Sと牛乳屋などを経営するに至つたが、同人は、パチンコばかりしていてあまり働かず貸し倒れも生じてその店の経営もやがて失敗に終るのだが女漁りは依然としてやまず、政党関係の出版の仕事があるなどと嘘をいつて挙式の翌日からも夕方になると普通乗用車などを駆つて街頭に出没していたところ、昭和三八年九月頃被告人方に二〇才位の女性が被告人に会いたいといつて来たことから妻T子にもその行状が知れ、このときから同女の感情は急速に悪化し被告人の不行跡もまたその度を深め、またもや昭和四二年二月強姦致傷事件を起して同年六月三〇日前橋地方裁判所高崎支部で懲役三年六月に処せられて府中刑務所に服役し(これより先昭和四〇年八月一〇日同裁判所で恐喝未遂罪で懲役一年執行猶予四年の判決を受けていたがその猶予の言渡も取り消された。)昭和四六年三月二日仮釈放でようやく出所したが、その頃被告人の悪業に絶望し離婚を決意して二児を連れて実家に帰つていた妻T子にはじめて後悔のいろを見せ、今後は室内装飾業を営み親子四人仲よく暮したいから戻つてほしい旨切願したが、同女の決意は容易にかわらず、加えて母キンが被告人の入獄中右T子と父円次郎の間を疑い、近所の人達に両名が不倫な関係をしたなどとあらぬことをいいふらしたことがあつたため日頃から父の財産の分配や前記牛乳店の経営も結局失敗したことなどをめぐつて被告人と極度に反目していた兄Sにおいて同人もかつてその妻が父円次郎に姦淫された経験があるところから右T子も被告人方に戻らぬ方がよいと考え同女方に赴いて被告人らと同棲することは避けるようにと申し向けたことを同女から聞知して大いに立腹し、両親らをあつめてその真偽をただし、兄Sをこのままではすまさぬ旨ひどく詰問した結果同人はすつかりおそれをなし、被告人について保護司方を訪れて同人の仮釈放の取消方を要請するに至つたため被告人の兄Sに対する憎悪感は一層つのり同人には一時殺意すらいだき、妻T子にもまた失望し、もともと孤独な性格から前途を悲観して遂に自暴自棄となり、ここに被告人の前記不良性格はにわかに発露し、再び街頭に女性を漁つて無軌道な性の逸楽をむさぼろうと決意し、ベレー帽にルパシカと称する上着を着用しその頃購入した乗用車マツダロータリークーぺを乗り廻し渡辺哉一との偽名を用いて見ず知らずの二〇才前後の女性に近ずきあるいは「美術の教師だがモデルになつてくれませんか。」とかあるいは「英語の先生だが付き合つてくれませんか。」などと話しかけ、女子高校生、店員、事務員、美容師等々つぎつぎ言葉巧みに車中に誘い込んでは登山や芸術の話しなど能弁に物語り、機を見ては山林中やモテルに連行して情事をかさねていたものであるが、これらの女性中被告人の要求を拒絶して逃げようとしたり身許を探知したりして事件が表面に現れるおそれが生じたと見るや犯跡を隠蔽するため容赦なくその場で同女らを殺害するに至り、あえて、その犯行もすべて若い女性や権力に対する反抗であると強弁し、以下述べるとおり連続して残虐非道なる犯行を反覆するに至つたものである。

二本件犯行

被告人は、

第一、1 昭和四六年三月三一日午後六時四〇分ころ、群馬県多野郡新町所在国鉄新町駅付近において、当時高崎市立女子高等学校二年生であつたA(昭和二八年五月二一日生)を認めるや、「榛名にアトリエを持つている」などと申し向けて同女の歓心を買い、同女を誘つて被告人の運転する前記普通乗用自動車に同乗させ、前橋市内に至り喫茶店で雑談後再び同車に同女を同乗させアトリエのあるという榛名方面に向つて運転走行したすえ、同日午後九時四〇分ころ同県群馬郡榛名町大字榛名山字沼の原甲八四五番地先山林内に至つて停車したのであるが、同所に行つてもなおアトリエにこだわり、その存在や遂には被告人の身許にも疑惑を懐き始めた同女が、欺して車に同乗させたことを詰り始め、これに憤慨した被告人が口論のすえ、同女の顔面を手拳で一回殴打したところ、同女がいきなり同車のドアーを開けて車外に逃げ出すに至つたため、被告人が虚言を用い女性を誘惑していることを悟つた同女が、これを両親、警察等に話せば、不利な立場におとされるものと判断した被告人は、自己の秘密を守りその身が再び刑務所に収容されることのないようにするためには、発覚の端緒となりうるかも知れない同女の口を塞ぐほかないと考えとつさにこれを殺害しようと決意し、約七〇メートル追跡して同女をとらえ、同所において、同女の右側胸部等を右手拳で数回殴打してその場にかがみ込ませ、ついで同女を仰向けに引き倒して、その上に馬乗りとなり、両手で同女の頸部を強く締めつけ、即時同所において、同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女を殺害後その死体が発見され、犯行が発覚することをおそれ、前同時刻ころ、前記山林内の土をスコップ(昭和四六年押第六八号の一)を用いて穴を掘り、同所に同女の死体を埋没して遺棄し、

第二、1 昭和四六年四月六日午後七時ころ同県高崎市大橋町所在国鉄北高崎駅付近において、当時高崎弁当株式会社に勤務していた○○○○ことB(昭和二八年一〇月一八日生)を判示冒頭の事実末尾に記載のような甘言を用いて被告人の運転する前記自動車に同乗させ、同所から安中市、高崎市剣崎町等を運転走行中、被告人の挙動に疑念を懐いた同女が、その身許を究明しようとし始めるや、前同様の判断のもと同女を殺害しようと決意し、同女を同乗させたまま同日午後一〇時ころ、高崎市豊岡町五五九番地先八幡第二土地区画整理事業団地(通称八幡工業団地、以下同じ)造成用地内の工事用道路に至つて停車し、右車内において、同女の顔面を平手で数回殴打し、同女が同車のドアを開けて車外に逃げ出すや直ちに同女を追跡してとらえ、右道路付近において、同女の右上腹部を右手拳で一回殴打して同女をその場にかがみ込ませたうえ、その背後から、被告人の右腕を同女の頸部にからませて扼し、さらに同女がその際所持していた長袖メリヤスシャツ(昭和四六年押第六八号の三)の袖を同女の頸部に巻きつけて一重に結び、これを強く引き締めて、即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女殺害後その死体が発見され、犯行が発覚することをおそれ、前同時刻ころ、前記道路付近の側溝造成工事のため掘削されていた場所を前記スコップを用いてさらに深く掘りその土中に同女の死体を埋没して遺棄し、

第三、昭和四六年四月一一日午後四時三〇分ころ、同県富岡市富岡一、一九五番地先路上を通行中の会社員C(当時一九年)を認めるや、甘言を用いて同女を被告人の運転する前記自動車に乗せ他所へ連れ去つて姦淫しようと企て、同女に近づき「去年の一一月ころからあなたと交際してもらいたくて、あなたのことについて性質や家の様子まで六〇パーセントから八〇パーセント位調べてあるのでとに角話を聞いて下さい。」などと言葉巧みに申し向けて同女を付近に駐車させておいた右自動車の助手席に同乗させたうえ、藤岡市・高崎市・前橋市および群馬郡箕郷町等を経て同日午後八時ころ同郡榛名町大字十文子字割石一、一二〇番地先林道に至つて停車し、いきなり助手席とともに同女を仰向けに押し倒して押えつけ、家に早く帰してほしいと哀願する同女の口を塞ぎ首に手をまきつけ、手で同女の下着を剥ぎ取るなどしながら、「俺は柔道四段だ、女なんか身体を奪つてしまえば誰にも言わないんだ、嫌がると一晩中でもやるぞ。」などと申し向けて同女の反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫したうえ、再度姦淫しようと犯意を継続して、畏怖している同女を右自動車に同乗させ安中市板鼻三七七番地の三旅館「ワカハラ」こと海野育子方まで連行し、同日午後九時ころ同旅館松の間において、先の姦淫により抗拒不能にある同女を全裸にして重ねて同女を強いて姦淫し、右再度にわたる姦淫により、同女に全治約六日間を要する処女膜後壁微細擦過傷、後連合擦過傷の傷害を負わせ、

第四、1 昭和四六年四月一七日ころの午後一一時三〇分ころ、当時群馬県庁臨時職員として勤務していたD(昭和二六年九月一二日生)と判示冒頭の事実末尾に記載のような甘言を用いて知り合つたうえ前記自動車に同乗させ、高崎市上豊岡町四二八番地先の前記八幡第二土地区画整理事業団地造成用地内の工業用道路まで進行してきたところ、同所において、被告人に疑惑を懐き始めた同女と口論となつたため、前同様の判断のもといつそ同女を殺害しようと決意し、同女の右側胸部を右手拳で殴打し、ついで被告人の右腕を同女の頸部にからませて扼し、さらに所携のタオルを同女の頸部に巻きつけ、その両端を掴んで強く締めて、即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女殺害後その死体の発見から犯行の発覚するのをおそれ、前同時刻ころ、前記道路付近の側溝造成工事のため掘削されていた場所に前記スコップを用いてさらに深く掘りその土中に同女の死体を埋没して遺棄し、

第五1  昭和四六年四月一八日午後一時二〇分ころ、群馬県伊勢崎市内において、当時県立伊勢崎女子高等学校三年であつた○○○○ことE(昭和二九年一月二二日生)を認め、前同様の甘言を用い同女を誘つて被告人の運転する前記自動車に同乗させ、群馬県桐生市・前橋市および高崎市等から長野県中軽井沢付近まで運転走行した後、同日午後九時三〇分ころ、群馬県群馬郡榛名町大字高浜字鳥井沢五八の二番地先烏川左岸河原に至つて停車したが、同所に至るまでの間右車内で被告人に疑惑を懐いた同女と口論し、激昂して右同所に停車直後同車内で同女の顔面を平手で一回殴打したところ、同女がいきなり同車のドアを開けて車外に逃げ出したため、前同様の判断のもと咄嗟に同女を殺害しようと決意し、約二〇ないし三〇メートル追跡して付近の河原で同女をとらえ、同所においていきなり同女の右側胸部を右手拳で数回殴打して同女をその場にかがみ込ませたうえ、その背後から、同女がそのころまで着用していたパンティーストッキングを同女の頸部に巻きつけてその両端を掴んで強く引き締め、即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2  同女殺害後その死体の発見から犯行の発覚するのをおそれ、前同時刻ころ前記河原において前記スコップを用いて穴を掘り、同所に同女の死体を埋没して遺棄し、

第六、1 昭和四六年四月二七日午後六時四五分ころ前橋市本町二丁目付近路上において、当時前橋育英高等学校二年在学中であつたF(昭和三〇年一月一二日生)を前同様の甘言を用いて誘い被告人の運転する前記自動車に同乗させ、同所から群馬郡箕郷町・高崎市剣崎町等を運転走行中、同女が後部座席に置いてあつた書物にはさみ込んであつた刑務所内の表彰状から、被告人の言動・身許に不審を感じ始めたのを認めるや前同様の判断のもと同女を殺害しようと決意し、同女を同乗させたまま同日午後一〇時ころ、高崎市上豊岡町五五九番地先八幡第二土地区画整理事業団地造成用地内の工事用道路に至つて停車し、同女を車外に連れ出し、同女の鳩尾付近を右手拳で一回殴打して同女をその場にかがみ込ませたうえ、その背後から所携のタオルを同女の頸部に巻きつけ、その両端を掴んで強く締めて、即時同所において、同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女殺害後その死体の発見から犯行が発覚するのをおそれ、前同時刻ころ、前記道路付近の側溝造成工事のため掘削されていた場所に前記スコップを用いてさらに深く掘りその土中に同女の死体を埋没して遺棄し、

第七、1 昭和四六年五月三日午後四時過ぎころ、伊勢崎市曲輪町所在国鉄伊勢崎駅付近において、当時太田市内の電報電話局に勤務していたG(昭和二七年一二月三日生)と前同様の甘言を用いて知り合つたうえ被告人の運転する前記自動車に同乗させ、同所から前橋市・高崎市・長野県中軽井沢付近まで運転走行しての帰路、同車内において同女が、被告人と関係のあつた女性を話題にしたことなどから、同女がやがては被告人の身辺に疑念をもち始めるとみてとり、前同様の判断のもといつそ同女を殺害しようと決意し、同女を同乗させたまま同日午後一〇時三〇分ころ、高崎市上豊岡町五五九番地先八幡第二土地区画整理事業団地内の工事用道路に至つて停車し、同女を車外に連れ出し、同所付近において、同女の顔面を平手で数回殴打し、さらに同女の鳩尾付近を右手拳で一回殴打して同女をその場にかがみ込ませたうえ、所携のビニール紐を同女の頸部に巻きつけ、その両端を握つて強く引き締めて、即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女殺害後その死体の発見から犯行が露見するのをおそれ、前同時刻ころ、前記造成地内の側溝造成工事のため掘削されていた場所に前記スコップを用いてさらに深く掘りその土中に同女の死体を埋没して遺棄し、

第八、1 昭和四六年五月九日午後五時ころ、同県藤岡市内において、たまたま自転車を押しながら歩行していた、当時同市内千野製作所工作課に勤務していたH(昭和二四年七月一三日生)を認めるや、甘言をもちいて同女を被告人の運転する前記自動車に乗せ他所に連れ去つて姦淫しようと企て、「絵のモデルになつて貰いたいんですが」「時間があつたら少し話を聞いてもらえませんか」などと申し向けて誘い、同女もこれに一応の関心を示したが、同女が買物の途中であつたため、二、三〇分後に近くの交差点の電話ボックスで再会することを約して一旦別れた後約束の時間に同女は再び自転車で来たので、被告人はどうしても同女を自車に同乗させようとし同女の乗つて来た自転車を自ら多野信用金庫裏の駐車場に置き、同日午後五時三〇分ころ同女を前記自動車に同乗させて、高崎市・前橋市および伊勢崎市に至り市内の喫茶店「小さな恋人」で雑談した後再び同車に同女を同乗させ、国道一八号線から同県碓氷郡松井田町大字五料字福沢に同車を進め、同日午後一〇時ころ同字四五二八番地先桑園内の農道に至つて停車し、同車内において、いきなり同女の肩に手をかけて接吻しようとしたところ、同女がこれを拒否して被告人の顔面を平手で殴打するなど抵抗して車外へ飛び出し逃げようとしたため、約二、三〇メートル追跡して同女をとらえ、激しく抵抗する同女の鳩尾付近を右手拳で数回殴打して完全に同女の反抗を抑圧し、同女を右自動車付近まで引きづり戻し、同所で同女の下着を剥ぎ取り、仰向けに倒して強いて姦淫し、

2 前記日時場所において、姦淫終了後、同女が上半身を起こしながら再び「助けて、助けて」と悲鳴をあげるなどして騒ぎ始めたため、姦淫の際も強く抵抗した同女を生かして帰せば、右事実を訴え、被告人の右犯行が発覚するものと判断し、いつそ同女を殺害しようと決意し、同女の下着である白色ナイロン製シュミーズ(昭和四六年第六八号の一一)を同女の頸部に巻きつけてその両端を掴んで強く引き締め、よつて即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

3 同女殺害後その死体の発見から発覚に至るのをおそれ、前同時刻ころ、前記農道付近の桑園に前記スコップを用いて穴を掘り、そこに同女の死体を埋没して遺棄し、

第九、1 昭和四六年五月一〇日午後六時五〇分ころ、前橋市住吉町二丁目先比刀根橋付近において、当時自宅で洋裁をしながら家事の手伝いをしていたI(昭和二四年九月二一日生)を前同様甘言を用いて誘い被告人の運転する前記自動車に同乗させ、同所から安中市、同県碓氷郡松井田町、同県甘楽郡妙義町等を運転走行した後、同日午後九時三〇分ころ、同郡下仁田町大字下小坂一六三番地の一先空地に至つて停車したが、その直後右車両内で被告人の意に反する言動を示す同女と口論のすえ、被告人の所為をあからさまにし、不利な立場に置くことになるであろう同女をいつそ殺害しようと決意し、同車内においてリクライニングシートに仰向けになつていた同女の左側胸腹部をいきなり右手拳で数回殴打したうえ、さらに同女のパンティストッキングを同女の頸部に巻きつけ、その両端を掴んで強く引き締めて、即時同所において同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し、

2 同女殺害後その死体の発見から発覚に至るのをおそれ、前同時刻ころ、前記空地脇の畑に前記スコップを用いて穴を掘り、そこに同女の死体を埋没して遺棄し、

たものである。

(証拠の標目)〈略〉

(累犯前科)

被告人は、昭和四〇年八月一〇日前橋地方裁判所高崎支部で恐喝・同未遂罪により懲役一年(四年間執行猶予・昭和四二年九月一日右猶予取消・昭和四五年四月七日刑開始)に処せられ、昭和四六年三月二日仮出獄を許され、同年四月六日右刑の執行を受け終つたものであつて右事実は前科調書によつてこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為中各殺人の点は、いずれも刑法第一九九条に、強姦致傷の点は同法第一八一条に、強姦の点は同法第一七七条に、各死体遺棄の点はいずれも同法第一九〇条にそれぞれ該当するところ、殺人の罪についてはいずれも死刑を、強姦致傷の罪については有期懲役刑を選択し、判示二の第三の強姦致傷の罪、同第四ないし第七の各2の各死体遺棄の罪、同第八の1の強姦の罪、3の死体遺棄の罪および同第九の2の死体遺棄の罪は前記の前科との関係で再犯であるから同法第五六条第一項第五七条によりそれぞれ再犯の加重(ただし判示強姦致傷ならびに強姦の罪については同法第一四条の制限内)をし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるので同法第四六条第一項本文、第一〇条により犯情の最も重い竹村礼子に対する殺人罪につき死刑に処し、他の刑は科さないこととし、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項但書により被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

被告人の本件各犯行を考察するに、これ迄も性犯罪を数度に亘り犯し、服役もしながら、その性的放縦を矯めようとせず、刑務所を仮出獄後月余も経ずして連日の如く女漁りを行い二〇歳前後の多数の女性を極めて巧妙な手段を用いて誘い、これら女性を、その多くは欺き、時には極めて荒々しい暴力を振いつつ自己の性欲を満たし、しかも自己の非を発かれるおそれの感じられる女性は、必死に逃げ、あるいは哀願するのをかまわず、残酷にその生命を奪うという、自らの利益と欲望のためには、何物を犠牲にしても顧みないという、冷酷にして利己的そして矯正は不可能とみるほかない被告人の性格が明確に認められるものといわざるをえない。

加うるに被告人は、本件犯行につき、改悛の情を示すところまつたくなく、それどころか、被告人が声をかける迄は全く没交渉であつた女性を殺害したことをもつて、権力に対する反抗を示したものと称し、その事由として十数年前の強姦事件の被害者の虚偽の供述という歪曲誇張した事項を持ち出し、かつ、これをこゝに至つて挙行した事由としては、既に母キンがその非を認め、被告人も悟り、それ故怨恨は消え去つていたはずであり、しかも、それが女性殺害と結びつく関連性などない兄宗吉に対する憤怒を述べ立てるなど、自己の醜さをおし隠し、その所為を虚偽で固めて、美化しようとする異常な程の自己顕示性がみられ、かゝる被告人の犯行後の態度は、自らのうちの人間性を自ら抹殺するものといえるのである。被告人が昭和四六年三月府中刑務所を出所した直後の被告人を囲む家族関係が被告人の希望どおりのものではなかつたことは、認められるけれども、これももとをただせば被告人自身が犯したそれ迄の再々の非行にその原因は求められるのであつて、出所後はあらゆる条件を克服して自力更正すべき立場にあつたものであると断じて差支えないものである。しかるに被告人はこの努力を怠り、かゝる状況下自己の欲望のおもむくまゝ、何ら責められるべき理由もない八名もの女性を殺害したうえ死体をその発見を妨ぐためすべて土中に埋没し、他一名に対し強姦致傷の所為に及んだ被告人の行為は、まさに天人ともに許すことができないものといえよう。当裁判所は、現今死刑廃止の論議がしばしばなされるに至つていることにも充分の考慮を払いつつも、現在の刑法になお死刑が存する以上、幾多の先例に照らしても、本件被告人にはこの極刑をもつて臨むほかないものと思料するに至つた次第である。

よつて主文とおり判決する。

(水野正男 谷川克 山本武久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例